しもた屋ANNEX

カメラと平凡な日常と

トマトの思い出

昨夜の夕食に妻がトマトのサラダを作ってくれまして、私はトマト及びトマト味のものが大好きなので喜んで食べたわけです。

酎ハイがメインになってしまいましたが右手に見えるのがトマトとハムのサラダ。写真はヘタだが料理は美味い。

トマト味というとこの写真の、親戚から頂いた何やら神戸の有名店のハンバーグ(レトルトですが)も2種類のうちトマトソースの方が美味しかったし、トマトジュースも好き、野菜ジュースはもっと好き。スパゲッティならナポリタン(本場イタリアにはないらしいけど)、オムライスにもケチャップをドバドバとかけちゃう。それぐらい私はトマトが好きなのです。

こちらはフリー素材を拝借。写真がなかったもので、すみません・・・

 

で、トマトの事になると必ず出る話がありまして、妻は「またか」という顔をするのですが、ここでも少しその昔話を書きたいと思います。

私は田舎暮らしですが父方の祖母とおじ、おばがその頃は東京の調布市に住んでいて、小学生のとき毎年夏休みや冬休みになるとよく泊まりに行きました。

今でこそ調布も大都会だけど50年ぐらい前は、京王線調布駅から多摩川方面へずんずん歩いて祖母の家に向かう道は野菜畑が広がる田舎のような風景でした。今私が住んでいる近所は米の田んぼが多いですが、東京は畑が多く、学校で習った関東ロームとはこのことか、と賢かった子供の私は思ったものでした。練馬大根とかも有名ですね。(注1)

 

前置きが長くなりましたが、トマトまであと少しですのでお付き合いください。

その畑道を歩いていくと、途中の道端で野菜を売っていたんですね。それも路上に新聞紙を敷いて、その上にトマトやとうもろこし、キュウリなどを並べて。それらを祖母がよく買ってきてくれたのです。

その野菜の美味しかったこと!その味が忘れられず、今なおトマトやきゅうり、とうもろこしを食べるたびにこの話が出るのでそりゃあ妻が「また出た」という顔をするわけです。

理由として考えられるのはやはり学校で習った通り、関東ロームの黒い土は畑作に適していること(注2)。また今の野菜は見た目が綺麗なものが好まれるので、あの頃とは品種が違うのでしょう。昔のトマトはもっと真っ赤に熟れていて、しかも大きくて、果汁がすごくドバドバに出るものだったのね。きゅうりは今のより細くて形も曲がっていたりしたけど、味が濃厚でした。しかもどれも採れたてで、もう、生のトマトとかきゅうりに塩をつけるだけで、おやつとして丸かじりしていました。それぐらい美味しかったのです。

まあ、思い出のバイアスも多少あるんだろうけど、周りの人に聞いても大体同意されるので間違いないです、多分。

 

トマトの話のついでにコニカ・トマトというカメラを持っているので見てください。いずれこれについても書こうかなっと。

注1

この後調べてすぐに分かったのですが、関東ロームは本来耕作に適さないので、5代将軍綱吉が土壌改良を行い、また練馬にはそのような土壌でも育てやすい大根の栽培を命じたのだそうです。

注2

上と同じで、関東ロームは耕作に適さない、しかも赤土だとのことでした。それを、徳川綱吉の政策で土に不足していたリン酸を含む肥料を用いることで土壌改良を行ったことにより関東平野全体で、多くの人口に対応できる野菜を作れるように、つまり畑作が盛んになったのだそうでした。

大嘘を書いてしまいすみませんでした。

それにしても「犬公方」などと言われイメージがあまり良くなかった徳川綱吉、すごい政治家だったんですね。恐れ入りました。