しもた屋ANNEX

カメラと平凡な日常と

鳥山明先生、ありがとうございました。

今回は写真なしです、すみません🙇🏻

 

勤務中にLINEのニュースで鳥山明先生の訃報を知りました。

 

私は小5ごろから30歳になる年まで、少年ジャンプを毎週一度も欠かさず購読していたのですが、Dr.スランプの連載が開始されたとき私は高校1年生でした。それまでのどの漫画とも似ていない、少年漫画としてはむしろクールというか、漫画というよりはデザイン画のような斬新な画風にショックを受け、たちまち大ファンになりました。恥ずかしながらファンレターを書いたり(ページの端、なんていうんでしたっけ、に「〇〇先生にお便りを出そう!」って書いてあったのを鵜呑みにして)、後に作られた「鳥山明保存会」なるファンクラブに入ったりもしたし、ペンギン村のジオラマみたいなプラモも作ったなァ…懐かしい…思い出すと涙が出ます。

 

私は高校卒業とほぼ同時に母を病気で亡くしていまして、父は酒乱気味であるうえ子供に対し大変に厳しい人だったので、その後は家族との楽しい思い出は一つもないのですが、高校生の頃はまだ母が健在で、漫画や音楽が好きな私を父には内緒で優しく見守ってくれていたのでした。厳しい父は私が勉強以外のことに興味を持つと怒って(私を国立大医学部に入れようとしていた)時々暴力も振るい、やめさせることしか言わなかったので、私の唯一の味方である大好きな母が亡くなったときは私の人生も終わったかのように泣いて泣いて泣きました。父親に義理を果たすためだけに受けた国立大医学部には当然受からず、一浪して東京の文系大学に入り、逃げるように実家を離れた20歳。その父も数年前、80歳を目前にして亡くなりました。妻を早くに亡くし、残った子供たちからは憎まれ、思えば可哀想な人でした。

 

高校生だった3年間、私の一番の楽しみは毎週欠かさず読んでいた少年ジャンプでした。あの頃のジャンプ、異常なほどの充実ぶりでしたね。Dr.スランプやその後のドラゴンボール北斗の拳ジョジョの奇妙な冒険スラムダンク… あれらのビッグタイトルをリアルタイムで読むことができたのは今思うと本当に奇跡でした。

 

30歳になったとき、さすがに「少年」はなぁ、と思ってジャンプの購読をやめましたが、辛かったあの頃を思い出すとき、Dr.スランプに夢中だった少年時代最後の思い出が涙とともによみがえってくるのです。

 

近年はあまり漫画を読まなくなっていたのでファンと名乗るにはおこがましいのですが

鳥山先生、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りします。