しもた屋ANNEX

カメラと平凡な日常と

続けるということ

昨日のことですが、私がイタリア語学習に使っているデュオリンゴというアプリが、1000日連続という節目になりました。

 

f:id:SHIMOTAYA:20250212200940p:image

節目ごとにこのような画面が出て教えてくれるのね。

 

 

このアプリを始めたのはもう3年前になるってことです。その間、毎日少しずつでも必ず学習するようにしていました。前にも書いたけど、イタリア語コースはもう全部やってしまって今は復習しかできないので、今度の更新月までで課金はやめるつもり。まあ他の言語を始めることもできるのですが、イタリア語だって修了したとはいえまだまだ全然だし、このアプリだけでマスターするのは無理ってもんです。

 

 

それにしても1000日もの間、1日も休まず続けてきたのは我ながらよくやったと思う。私の場合、やるなら毎日やると決めないと絶対にやらなくなるのは経験済みだから、語学にしてもこのブログにしても、毎日やることにしているのだ。例えば前に書いていたカメラのブログがあるのですが、あっちは不定期更新だったので、ネタがない時は数日、数週間、数ヶ月というふうにどんどんスパンが開いてしまって、何年も休止していたこともあったほど。

 

 

また数年前には毎朝1時間ウォーキングをしていた時があった。これも毎日続けていたおかげで苦にもならずに半年以上続けられていたのですが、あるとき病気でひと月ほど入院することになり、退院後もすぐには再開できずにいるうちに結局今日まで中断したままであるという…

 

 

あるいは酒。一時期肝臓の数値がかなりヤバくなったことがあったんだけど、この節酒、っていうのが難しい。量をコントロールするとか、休肝日なんていうのは相当な精神力がなくては成し得ないのである。だから私の場合は、いっそ断酒するしかない。とばかりに、全然飲まない日を何ヶ月か続けたことがあった。最初の数日は禁断症状が出てキツいけど、驚くことに1週間ほど頑張って続けるうちに、割と飲まなくても平気になっていた。しかしお正月なんかになるとお祝いだから飲まないわけにもいかないし、まあ今日ぐらいは、なんて飲んでしまうともう駄目で、完全に元通り毎日飲んだくれるようになるまでそう時間はかからないのであった。

 

 

このように「毎日続けている」という自己記録みたいなものだけが一つのことを続けるモチベーションになって、長く続ければ続けるほど記録が途絶えてしまうのが勿体ないという気持ちになって、続けることそれ自体が目的みたいになってくるのね。このブログだってそうなのである。本末転倒なのかもしれないけど…

 

ま、しかしそれによって一つのことを続けられるのであればそれは悪いことではない。ブログなら毎日ネタ探しに苦心しながらも続けることで、たまには良いものが書けるかもしれないし、少なくとも長文を書く力はついてきたように思う。続けるって大事よね。

 

f:id:SHIMOTAYA:20250212204415j:image

 

ということでなかなか面白いことが書けないこのブログですが、続けることだけは続けていきたいなと思っています。悪しからずお付き合いのほどを…

 

ではまた明日❗️